それというのも、教育論の建前とは違い、新しい学力観が育てようとする能力にも、階層的(ハイアラーキカル)な差異が存在するからである。

「考える力」の格差を、できるだけ縮小しょうとするか、縮小不可能として放置するかは政策判断の問題である。 ただし、いずれにしても、格差の存在を認めるところからしか、議論は始まらない。
格差の存在を否定してしまえば、問題そのものが存在しないことになる。 いや、まさに同じことが、今度は、「生きる力」や「個性尊重」の教育においても生じている。
ただし、違いもある。 この違いは、時代の地殻変動の中でより一層重要な意味を持つ、と考えられるのである。
個性主義の教育や「新しい学力」の教育においては、知識の量で計られた「旧学力」以上に、理想主義やロマン主義が入り込みやすい。 「自ら考える、自ら学ぶ」という表現が示すように、「自己」を起点においた学習観.学力観をもとにしている。
そのために、「個性」と同様に、個別性や主体性(「1人ひとりのよさや可能性」)が強調される。 その結果として、実際には他者からの評価にさらされ、市場的な価値を付与されることになる能力の形成であるにもかかわらず、序列化を忌避する「1人ひとりのよさ」という「個別性」の論理を強調することで、そのことが忘れられてしまうのである。

「人それぞれの価値」といった理想の前で、「自ら学び、自ら考える力」もまた、(受験があろうとなかろうと)社会に出てから評価の対象とされ、異なる価値が与えられることになる現実が隠されてしまうのである。 このように見てくると、「新しい学力観」以後の教育改革の理想主義の問題点が見えてくる。
新しい学力観では、「いかに社会か変化しょうと、自分で課題を見ツケ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動しょりよく問題を解決する資質や能力」(K育課程審議会答申)の重要性が強調されてきた。 こうした能力は、ひと時代前であれば、あるいは他の国であれば、少数の「エリート」対象の教育目標として掲げられていた能力とほぼ同じである。
このような能力が、より多くの人びとにとっても重要な時代が到来していることは間違いない。 だからと言って、誰にでも、同じように身に付けることのできる能力だと考えることができるかどうか、そのために具体的にどのような施策を講じるかは別の問題である。
ところが、日本では、こうした、より高度な要求を突き付けるはずの教育を、大衆的な規模で、学習指導要領という法的拘束力を持った制度を通じて、全国一律一斉に始めたのである。

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